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オサダの歴史

HISTORY

オサダの歴史

1935年、現在と同じ場所、東京都品川区にて創業。
多くのお客様やパートナー様に支えられながら事業を展開しています。

1935-1946創成期

「創業の思い」

"第一に、ひとたび事業を創めた以上は、ぜひとも成功させねばならない。"
性能のよい、高品質の製品を作ることと、何より事業がつぶれない決意を固めた。
そこで、素材、メッキ、塗装以外は一切外注せず、治工具(プレスの型など)から自家製で始めた。
昭和十年頃の町工場としては画期的なスタイルで、製造、設計、販売に至る完全な一貫作業だった。

1935-1946 創成期

1935年4月、 長田電機製作所を現在の東京都品川区西大崎に創設。
第一号機「サクセス」電気エンジンを完成、 定評を得る。

1947-1959終戦の廃墟から復興へ

「日本人のための歯科機器を」

日本人の体格と先生たちの導線を加味して、従来にはないユニークな構造と、斬新なデザインに工夫を重ねて、創りあげたのが『ノーベル』。
治療における動作研究を基礎においていた。
創業者が昭和34年にアメリカに行った際、アメリカではすでにバキュームを生産・販売していた。
日本でも、長田電機が率先して単独で製造を始め、この面での口火を切った。

1947-1959 終戦の廃墟から復興へ
1947-1959 終戦の廃墟から復興へ

戦火の為工場を焼失。 1947年に創業者 長田勉の実家の鶏舎を改造し愛知工場を復旧。
「足踏みエンジン」「S型昇降治療台」「スイベルスツール」「エアータービン・エアートロン」など製造販売。

1960-1972高度経済成長前

「社員からも、個客からも愛される会社に」

"「百の言葉より一つの実行」。 たとえ今企業業績が上がらなくても、
三年後、 五年後、 いやもっと後でよい、
「オサダで働いて良かった。 オサダの製品を買って間違いがなかった」と
云われる会社でありたいと創業以来念願して来たつもりであるし、
その考えは今も変わらない。"

1960-1972 高度経済成長前

1960年9月、 名古屋工場新築落成。
日本初の開発である「吸引装置・バキュートロン」の製造販売を開始。 「ユニット・ズーム」や「マイクロエンジン・ビーバー」などメイン製品の礎を築く。

1973-1988高度経済成長

「ドクターとともに歩む」

"ドクターの身体の一部になりたいのです。"
オサダは大量には作らないし、
ドクターの顔の見える市場にしか手を付けない。
ご用聞きくらいでは駄目で、
デンタルライフのご用達になれるような、ドクターと一緒に、
一歩先を提案できる会社でいたい。

1973-1988 高度経済成長

1973年9月、 「ユニット・スマイリー」製造販売。
ユニット本体をなくし、 チェアと一体となった画期的ユニット。
翌74年には「ユニット・ユニオート」の製造販売開始。
スマイリーと共に、 オサダの新しいスターとなる。

1989-1999拡大期

景気不況となる中、オサダは医療機器メーカーとして更なる拡大とチャレンジを。
はたらく環境を整備し、社員1人1人がより活躍できる体制を構築する。

1989-1999 拡大期

1990年には医科・獣医科領域の販路拡大でオサダメディカル設立。
自社ブランドの開発新環境として1997年、研究棟ベンメモリアルリサーチセンターを竣工。

2000~新たなる展開

2000年以降医療機器メーカーとして各種ISOの取得をし続ける。
製品そのものではなく、その先のお客様・患者様の感動を見据えたサービスの提供。
社員の働き方改革にも積極的に取り組み、「社員からも、個客からも愛される会社」を目指し続ける。

2000~ 新たなる展開

製品としては単品でなくシリーズ化をして、特に高齢者歯科、歯科訪問診療、障害者歯科、歯科衛生士、各シリーズの展開を世情に合わせて行っている。
また、会社初のアプリを開発、歯科衛生士にターゲットを絞り、様々な情報を配信。

2021~会社統合、ロゴマークの一新

持株会社として新たに「株式会社オサダ」を設立。
ロゴマーク、スローガンを一新。
オサダメディカル、オサダサービスを長田電機工業株式会社として統合。

2021~ 会社統合、ロゴマークの一新

社員が仕事をしやすい環境づくりと
全社の方向性を合わせるため、
さらなる体制の強化を図る。